No.26 釧路新聞読者コラム『番茶の味』から-1
「公共牧場の仕事」
公共牧場は、おそらく日本固有の家畜育成システムです。北海道の場合、主に酪農家から哺育、育成期の仔牛を預かり受胎後に返すのが仕事です。
道内の公共牧場は、1975年(昭和50年)の約400牧場をピークに年々減少し、現在は200牧場を割り込むまでになりました。
減少の原因は、酪農、畜産を取り巻く環境の変化と、運営する自治体や生産者団体の財政難に尽きます。公共牧場の多くが『赤字』だからです。
「公共」ゆえ、低料金で優良な後継牛を育成してきた結果なのですが……。
現実は、何とも皮肉です。
~平成26年11月30日釧路新聞掲載~
町財政が悪化する中、標茶町育成牧場の令和6年度の収支が1億6千万円の「赤字」を見込んでいることが分かりました。標茶町育成牧場に関心が高まっています。
本町の基幹産業にとって「縁の下の力持ち」として大きく貢献してきたことへの評価とは別に、1億円を超える実質収支の「赤字」が町の財政に重くのしかかります。
私が公共牧場について、釧路新聞のコラム「番茶の味」に寄稿してから10年が経過しました。
現在、公共牧場はどのような環境にあるのか、標茶町育成牧場を紹介します。
私が同牧場に配属された平成19年(2007年)は、3年の歳月と莫大な投資によって再整備が終了。昭和47年の開設以来本町の酪農を下支えしてきた「多和育成牧場」が、近代的な「標茶町育成牧場」に生まれ変わった直後のことでした。
再整備の目的は、牧場施設の老朽化を解消したうえで、運営をJAに引き継ぐという計画に基づくものでした。
民営化する理由は、他の公共牧場と同様に慢性的な赤字だったことが大きかったと思います。赤字の額は、毎年ほぼ1億円。赤字体質からの脱却を目指し、より効率のよい運営によって安定的に地域の酪農を支援するために民営化を目指したのです。
自治体がスピード感と柔軟性を必要とする収益性のある事業を営むのは、町条例、財務規則などの制約もあり大変難しいのです。
また、気象変動や疾病、世界の情勢を分析するための専門的知識と技術を有する職員を確保することの困難さもありました。
結局、黒字化は困難とのJAの判断から民営化は実現しませんでした。
生まれ変わったものの閑古鳥が鳴く牧場。冬季舎飼いは、1000頭足らず。夏季放牧期間こそ2200頭が利用しましたが、最盛期の3000頭には遠く及びません。
結局、再整備終了と同時に上オソベツ団地(800ha)を閉鎖し、同地区酪農家の規模拡大に伴い不足する採草地に振り向けました。
「金食い虫」とさえ言われた牧場は、議会でも常に廃止論が浮上していました。
しかし、そんな「金食い虫」に転機が訪れます。
……続く