No.29 追悼「ぽん・ぽんゆ」落成の日に及川直彦さんを偲ぶ
追悼
「ぽん・ぽんゆ」落成の日に及川直彦さんを偲ぶ
その頃私は、たびたび経済部長の及川直彦さんの横に立たされていました。「憩の家」の再建案策定の真っ最中のことです。
「憩の家」は、周辺で類似施設の開業が相次いだ影響で経営不振に陥りました。三セク経営陣は集客増のためと改築を提案するも、役場は待ったをかけました。そして、施設の町有化と、大手観光ホテルから人材派遣を受けてサービスと食事の質を上げることを柱とする再建案を策定しました。地元経済に貢献し、町内同業者と共存するという相反する課題に答を出しました。
あれから20年、「憩の家」は再び行き詰まり閉鎖。5年をかけて、今、「ぽん・ぽんゆ」として再出発します。
私が立たされていたのは、「憩の家」の過去を検証し、標茶町の観光の未来を議論していたから。
いつも「主役は町民だからな」が口癖だった及川さんは、荒涼とした湿原を見渡す「ぽん・ぽんゆ」の威容を、最期にどんな思いで眺めたのか。夢で聞かせてください。
2024.09.30
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本町の助役であり、副町長であった及川直彦さんの訃報に接し、言葉を失った方は多いと思います。憩の家の再建は、その方向性や内容について及川さんと随分議論しました。その分、納得のいく再建案になりましたし、その後の15年間につながりました。
追悼文にも書きましたが、経営に行き詰まった憩の家を再建するために札幌でホテルやカニ専門店を運営していた札幌国際観光株式会社の支援を受けました。バブル期後半に観光事業の斜陽化を危惧した札幌国際観光株式会社自体が、カニ専門店の閉鎖とともに経営強化のために始めた人材派遣を軸とする事業です。
北海道内の複数の第三セクターが運営するホテルが経営支援を受けました。経費は、月額50万円(年600万円)でセンチュリーロイヤルホテルや札幌ロイヤルホテルの副支配人クラスが派遣されました。月50万円は、実質こうした筋金入りのホテルマンの給料でした。
憩の家は、和食一辺倒のメニューから、洋食、中華も提供するようになりました。仕出し弁当や敬老会メニューが町民に支持されました。
その後、塘路湖畔で苦戦していた「オーベルジュ・ピルカ・とうろ」も札幌国際観光株式会社の支援を受けることになったのですが、既に担当をはずれていたものの、私としては、この件は安易であったと思っています。
月50万円で5年間ということは、総額3000万円。しかも、それはほぼ派遣された支配人の給料。しかし、同じ再建策でも「ぽん・ぽんゆ」に投じた16億2000万円と比較してはならないと思います。憩の家は、人材、酒、食材、資材、機材、洗濯、燃料など殆どのものを町内で調達しました。正直いって決して安くはありませんでした。その分町内経済には貢献しました。
宿泊こそ少ないものの、日帰り入浴、食事、宴会、バーベキューなどで多くの町民に利用されました。「ぽん・ぽんゆ」は、当面レストランが利用できません。宴会もできません。バーベキューはなくなりました。
「主役は町民だからな」という及川さんの言葉が、いまさらながら心に沁みます。